つながりを大切に、みんなの幸せを実現する(株式会社昭和製作所 舟久保利和 社長インタビュー第2回)

最大の危機に直面し、どのように克服したのか
先代から継承した安定した事業で順風満帆に見える会社運営だが、実態は相当な苦労があったそうだ。最大の危機とそれをどうやって乗り越えてきたか、社長に伺った。

昭和製作所株式会社社長 舟久保利和 氏

社長の履歴書

舟久保さんは2006年に昭和製作所に入社し、2013年に代表取締役社長に就任されました。どのような経緯だったのでしょうか。

舟久保氏:元々は野球をずっとやっていたこともあって、選手の心と体のケアをするトレーナーとして働くことを考えていましたが、様々な経験をする中で「生涯をかけて一生懸命になれる仕事は何か」を考えた結果、家業である昭和製作所に入社しました。その後いくつかの部署を経験していた中で、2011年に東日本大震災が発生します。会社の経営は傾き、会社の存続が危ぶまれる中、自分で立て直す想いで前社長である父に直談判し、全権を譲ってもらいました。

最大の危機

入社以来、様々な経験があったかと思いますが、「最大の危機」を挙げるとするなら、どんなことがありますか。当時の状況を教えてください。       

舟久保氏:最大の危機は、私の入社直後から始まっていました。当社には大企業の研究者の方から相談をされるくらいの技術力や対応力はあったのですが、部署間の関係が悪く会社の中がバラバラで、いわば学級崩壊といった雰囲気でした。誰がどんな仕事をしているかもマネジメントも機能せず、仕事が特定の人に偏り、声が大きい人の意見が通るようなルールがない職場環境が問題でした。会社の理念はないし、事業計画もない。会社の業績も開示されていなかったので、社員としては会社がどこに進むかわからない中で働いている状況が続いていました。

危機を乗り越えるために、まずどんなことをしましたか。

舟久保氏:会社の経営を担うようになってから、全社員とマンツーマンでコミュニケーションをとる時間を作りました。具体的には半期に一回、1時間の面談時間をとりました。面談を終えると私の体調が崩れるほどに消耗しますが、全社員と時間を共有しています。業務終了後にサシ飲みに行くこともありました。
経営者がまずやるべきこととして、「会社全体に明かりを照らして、風通しを良くすること」であると考え、社員の視界を明瞭にして、歩むべき道を明確にするような施策を講じることにしました。
具体的には、経営理念、経営計画を作り、会社の成長にむけてのベクトルを明確化したのです。

その後、現在に至るまでどのような施策を実行されて、どのような効果がありましたか。 

舟久保氏:数多くの施策を講じました。

①自社の環境整備として、工場を移設し綺麗な仕事環境を作りました。また、毎日の20分程度の掃除時間以外に、月に一度、グループで時間をかけて掃除をするというプロジェクトを立ち上げました。プロジェクトの推進によって、グループでのPDCAを意識した改善活動ができるようになりました。

②従業員の多能工化を図りました。生産工程の多台持ちとしての多能工だけでなく、営業や品質等さまざまな部署を経験してもらうようにしました。以前は、営業担当と生産担当でケンカしながら生産調整を行っていましたが、他部署の仕組みや事情を共有し互いを尊重するようになって、調整がスムーズになりました。

③新卒採用の強化を行いました。従来は中途採用が中心でしたが、会社の考え方を理解してくれる新卒の採用に力を入れました。当時の従業員の平均年齢は53歳で、ほとんどが男性でしたが、現在は40歳まで下がっていて、女性も増えています。

④生産管理システムを導入することで、誰が何をやっているのか、やることになっているのかを「見える化」しました。生産効率が上がり、結果的に固定費の削減につながりました。

その他にもいくつか施策を講じましたが、実施した施策の中で一番辛かったのは、個人的にも大変お世話になった取締役2名に退任してもらったことです。会社の固定費が大変な状況でしたので、断腸の思いで決断しました。自分で決めておいてあとですごく泣きましたが、会社の将来のために必要なことだったと思います。
上記の施策の結果、会社の業績が向上しました。

危機を迎えていた取引先を救う

自社の危機を乗り越えた後、危機を迎えていた町工場に対してM&Aを実施されたそうですね。

舟久保氏:はい。三春工業という会社でした。業績が悪いわけではなかったのですが、社長とは別のオーナーさんが会社を清算し資金化したいということで、存続の危機を迎えていました。年末の挨拶の際に、三春工業の社長さんの様子が変だったのでお話を伺ったところ、その清算の話をされたのです。もともと当社の取引先の一つだったので、資金投入して何とか存続させる方法がないか模索しました。自社の外注費用の内製化や投資対効果を検討したところ、やる価値がある投資だと判断できました。三春工業の従業員全員と面談して希望を確認したうえで、当社の傘下に入っていただきました。つながりのある方全員が幸せになれるよう、多くの幸せが訪れるよう、願いを込めて、多幸製作所と会社名を改めました。

多幸製作所の会社概要を教えてください。

技術力やお客様への対応能力の高さを表現するホームページになっている。

舟久保氏:金属加工を得意としていて、空港の滑走路に使用される部品などの製品があります。また、三春工業時代の社長の息子さんが、元パティシエという異色の経歴を持っていて、パティシエ向けのお菓子製造の道具も作っています。お客様のヒアリング能力が高く、感覚的な要望を的確に製品仕様に落とし込めるため、評判がいいようです。

ヒアリングを重ねて、使いやすいお菓子道具を実現する多幸製作所の製品。こちらはチョコレートをカットする際に使用する、ギターカッター。

「見えない品質」を実現する、昭和製作所の強みに通じるものがありますね。

舟久保氏:そうですね。共通するDNAがあるかもしれません。生産面においては昭和製作所が持っている知見を活かせる部分があります。生産管理の手法や機械化のノウハウを投入して、生産効率の向上を図り、図面化の技術をもって、再現性がある製品作りができるようにしていきます。

第三回では、これからのビジョンについて伺います。


【企業情報】
業種   金属製品・非鉄金属・重電、産業用電気機器・輸送用機器に関する設計及び製作

設立年月          1952年8月

資本金              25百万円

従業員数          42人

代表者              舟久保 利和

本社所在地      東京都大田区大森西2-17-8

電話番号          03-3764-1621

公式HP           https://showa-ss.jp/

この記事の著者

齋藤宏晃

齋藤宏晃

中小企業診断士 2021年中小企業診断士登録。神奈川県在住。3児の父。 得意分野は製造業×管理会計。日本の産業を盛り上げたい想いで、プロボノを中心に診断士活動を行う。

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