町工場が生き残る、1つの戦略(第1回目)(ミスターマーケティング 吉田隆太)

町工場が生き残る、1つの戦略(第1回目)

本掲載は3回にわたって、「町工場が生き残る、1つの戦略」についてお伝えします。

第1回目は、まず経営をしていくにあたってのベーシックな考え方の部分に光を当ててお伝えします。

第2回目と第3回目は、下請け専門だった金型製造業が、「カテゴリーキラー戦略」をもとに受託事業のカテゴリーキラー化を行い、その後、自社オリジナル商品の開発に成功した実例についてお伝えします。
「カテゴリーキラー」とは耳慣れない言葉だと思いますが、その意味合いは、「競合他社を圧倒する差別化された強い商品・サービス・事業のこと」です。

私の専門は大きく言えばマーケティングという領域において、その会社の「売りモノ(商品、製品、サービス、技術、事業など)」をいかにして、「売れるモノ」に進化させていくか、という戦略をつくるお手伝いをしています。

当社では、その戦略を「カテゴリーキラー戦略」と名付け、14年にわたって、業種・業界問わず300社以上の企業に対しコンサルティングを行ってきました。

さて今回、本メディアから執筆の依頼があって、最初に思ったことは、父のことでした。

私の父は、葛飾区で町工場を経営していました。社員は父を入れて3人。私が幼少の頃は、自宅兼工場で、夜中まで仕事をする父の姿を目にしました。
しかし今から20年以上前、47歳で発症したがんによって54歳で亡くなりました。

そんな父を思い起こしたとき、今年で47歳になる私が、もし30~40代のまだ元気だった父にアドバイスをするとしたら、父に何を伝えるのだろうと考え、それを3つにまとめました。

 

「学び」をすること


「学びをすること」と書くと、何だか父が何も学ばずに、ただ無鉄砲に経営をしていると思われた方もいるかもしれません。

しかし父は無学だったわけではなく、当時は、金の卵と言われた大学を卒業していました。

私の祖父が、自営業で部品づくりの仕事をしており、父は卒業してすぐにその手伝いを始め、その後、金型製造業に転換しました。

文系出身だった父は、金型づくりなどの知識や経験もなく、相当勉強したようです。日本の経済成長と呼応するにように仕事も増えたそうですが、それに合わせてどんどん高い技術力が求められたようでした。そのような状況下で、父は金型技術の習得で手一杯だったのだと思います。

しかし、もし少しでも時間的そして体力的な余力があれば、経営全般の学びをしていると良かったのではないかと思います。

金型の技術的な側面のみならず、書籍、講演やセミナーを通じて、またはコンサルタントから、マーケティング、財務、人事、生産、開発、経営計画、経営理念、そして世の中の流れなど、少し視点を上げて学ぶことが必要だったのかもしれません。

どうしても目の前の顧客の要求を満たさんとするがあまり、技術的側面を追求しがちです。もちろん、そのことに取り組むことは決して間違っているわけではありません。

ただ、もう少し広い視野で世の中を見渡したときに、同じ金型製造業でも、違った視点による取り組みができたかもしれません。

一歩引いて、自社、顧客、競合、世の中、を眺めてみる。そのための時間をつくり、新しい切り口やきっかけとして、経営全般に関わる書籍を読む、講演やセミナーに参加してみる、または必要であればコンサルタントの意見を聞いてみる。このような学びによって、ときに客観的な視点を取り入れてみることが、現状打破の可能性につながるのです。

このオンラインメディア「So × Zo」もその1つでしょう。

インプットする情報の質と量の向上はアウトプットの質の向上に直結し、さらに仕事の成果へとつながるのだと思います。

 

「内部留保」をすること

内部留保するには利益が出ている前提がありますが、中小企業の多くは利益が出ていても税金をあまり払いたくないがために、決算前になるべく経費を使い黒字を減らす、ということがよくあります。

私の父が、内部留保を十分にしていたかどうかは、もはや知るよしもありませんが、1990年代に訪れたバブル崩壊以降の資金繰りの苦労を母から伝え聞くところによると、それほど多くの内部留保はなかったのではないかと思います。

これは想像に過ぎませんが、バブルの頃は仕事も回っていたのでそれなりに景気も良かったはずです。しかし、当時の法人税率は、現在の法人税率よりも水準がもっと高かったため、税金を払うぐらいならと会社にお金を残さずに、社員の給料も含めて支払っていたのだと思います。

しかし、やはり景気には必ず波があり、今回のコロナもそうですが、10年に一度ぐらいで、不景気の波があります。

例えば、バブル崩壊は1991~1993年、ネットバブル崩壊とアメリカ同時多発テロ事件9.11が起きたタイミングが2000~2001年、リーマンショックと東日本大震災が2008~2011年、そして今回のコロナが2020年~となります。

このように考えると、不景気の波が来る前提で、長期にわたって内部留保に努めることは必要なのだと思います。

 

カテゴリーキラーを考えること

3つめのカテゴリーキラーを考えることについては、具体的な実例として、第2回目と第3回目の記事を読んでいただけると、グッとその理解が深まるかと思いますが、第1回目では、簡単にお伝えします。

カテゴリーキラーとは、前述したとおり、「競合他社を圧倒する差別化された強い商品・サービス・事業のこと」です。

町工場の場合、それは何かの「技術」や何かの「製品」かもしれません。
いずれにせよ、顧客が価値を感じ、かつ競合他社にはない優位性をもつもので、会社の代表的な顔となるような「売りモノ」です。

このように書くと、当社にはそんなものはない、そんなものがあったら苦労しない、と思われるかもしれません。

しかし今はなくても、これから長期にわたって、自社のカテゴリーキラーとして何を育てていくべきなのか、を考えていくことが大切です。

なぜ考える必要があるかというと、差別化できるということは価格競争に巻き込まれずに済むからです。そうすれば、粗利益額が確保できて借入金の返済もでき、少しでも余裕を持った経営ができるようになっていきます。

私の父が、もしそのような長期的な視点で取り組んでいれば、もう少し違った結果になったかもしれません。

以上、3つのポイントについてお伝えしました。
お読みいただくと、少し父のことを悪く言っているように聞こえるかもしれませんが、私にとっては人間として非常に尊敬できる父でした。文句一つ言わず、会社や家族を養いました。ただ欲を言えば、もっと健康に留意してほしかったと思います。

この記事の著者

吉田隆太

吉田隆太株式会社ミスターマーケティング 代表コンサルタント 中小企業診断士/MBA

主に年商数千万円~50億円規模の会社に対して、「カテゴリーキラーづくり」の指導を行っている専門コンサルタント。過去10年間で、300社を超える指導を行い、新規事業にて数年で10億円の売上創出。不調商品を売上10倍増へ(3年間で6億円の売上増)、初年度から3万個・2億円以上売れる新商品開発、廃業寸前まで追い込まれていた店舗の再生(年商2.5倍増)等の多くの実績を上げている。ヒット商品・サービスを生み出す「カテゴリーキラーづくり」の体系的な経営指導に、いま注目が集まっている。多くの社長が願う自社独自の市場を創り出し、年商10億円はもとより、50億円、100億円を本気で実現していく実務の指導を行い、その手厚い指導と圧倒的な成果で、全国の経営者から絶賛されている。2名体制でコンサルティングを実施しているユニークな専門機関。 著者の新刊書籍「小さなメーカーが生き残る経営術」が発売開始後、即増刷、現在好評を得ている。

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