- 2024-5-8
- 取材・インタビュー
ばね作りに受け継がれてきた技術を極める
小松ばね工業株式会社の発祥は1941(昭和16)年、現在の本社(東京都大田区)において小松謙一氏が、ばね工場「小松製作所」を創立しました。
創業当初は、主にカメラシャッタ用の精密ばねを製造。その後各業界の要望に応えて、光学機器・医療機器・時計・電気機器・通信機器・OA機器・家電・自動車部品・宝飾品・文具・その他に徐々に販路を拡大していきました。また、技術も伸ばしつつ着実な発展を遂げてきたばねメーカーです。
第一回は会社の事業内容や歴史、強みなどについてお話をうかがいました。
精密ばね作りに受け継がれてきた技術を極める
―1941年に創業し80年以上の歴史がある貴社の事業内容や歴史について沿革を交えて教えてください。
小松氏:私で3代目になります。創業者である私の祖父小松謙一が明治42年(1909年)に秋田から上京し、ゼンマイ製造会社に就職しました。そこで働きながら大学を卒業し、独立して事業を起こました。しかしゼンマイ会社ではなく、競合せず類似の技術が応用できるばね事業で独立したことが始まりです。戦後、カメラブームが到来し、カメラシャッタ用の需要が多くありましたが、その後時計関係の精密ばね、自動車関係部品、電子部品(スイッチ)などの業界に進出し、受注先を順次拡大していきました。
特に、京浜工業地帯の中小企業は、発注先のメーカーと共に事業拡大していったのです。
―順調に事業拡大されたようですが、主な事業概要について教えてください。
小松氏:お客様は幅広い業界にわたっていますが、電子部品用や二輪のエンジン用のばねで業績を伸ばしていきました。
しかし、2008年リーマンショックの影響は大きく売上げもかなり落ち込みました。その頃からメーカーの海外移転も進み、量産の件数も少なくなる傾向です。
従業員数はパートさんを入れて全体で80人です。組織体制は東京本社と宮城県・秋田県の工場にそれぞれ生産と営業部門があり、地域に密着した営業とお客様の要求に柔軟に対応できる生産体制をとっております。
―拠点の工場ごとに役員を置いていらっしゃいますか。
小松氏:役員は置いていませんが、それぞれ工場長がおります。営業経験もあり、工場間の情報共有をしながら管理しています。
―優れた技術力で受注を続けられているとお聞きしています。
小松氏:弊社の特徴には、繊細な発想、試作時点から常に量産を見越した生産体制、そして徹底した品質管理の3つがあります。
弊社は、古いメカ機械から最新の生産機械及び検査機器をそろえた設備を持ち、熟練の技術者が発注図面から均一な品質で加工精度の高い製品を効率的に生産し、納期にも柔軟に対応をします。
受注は100%受注生産の特注品になります。弊社は1個からでも承りますが、試作レベルのお見積りをいただき、受注できた際、その後の量産につなげられるよう、安定品質、適正価格で差別化を図るようにしています。
時には手書きの図面や「ばね」をお持ちになり「これ、できますか」というような引合いも受けます。弊社は開発部門を持たないのですが、熟練工の高い技術力を武器にお客様から提示された図面を見て、迅速かつ的確に対応可否の判断をします。お客様とは何度もコミュニケーションを行うことを心掛け、ばねの精度の確認などきめ細かな顧客対応をしています。
―先代の小松節子現会長から経営を引き継がれたのが2011年で、3年後の2014年に代表取締役社長に就任されています。社長の立場になられて、先代から受け継いで、変えたもの・変えていないものを教えてください。
小松氏:基本となる経営方針は変えていません。時代に合わせて生産システムのデジタル化推進などは積極的に変えていったところです。
―100%受注生産ということでしたが、世の中の流れに合わせて、特に開拓している分野があれば教えてください。
小松氏:これまでは精密機械中心に、徐々にお客様の間口を広げてきたのですが、今は医療や環境分野の微細ばねや特殊ばねの市場開拓に力を入れています。
医療分野は、14年程前に出展した展示会で可能性を感じました。それまでは工業系の展示会ばかりでしたが、思いのほか弊社のばねに興味を持っていただけたのです。この分野では弊社が追求してきた小さいばね製造の技術も活かされていると思います。
業種 あらゆる分野で使用される精密線ばね:コイルばね(圧縮、引張)、トーションばね、
ワイヤフォーミング加工
設立年月 1941年5月創業、1952年12月設立
資本金 100,000,000円
従業員数 80人
代表者 小松万希子
本社所在地 〒143-0013 東京都大田区大森南5丁目3番18号
電話番号 03-3743-0231
公式HP https://www.komatsubane.com/