- 2023-6-6
- 取材・インタビュー
人々の生活を支えるエンジニアリングプラスチックへのこだわり
ケィディケィ株式会社は、生活必需品の製造や包装等を行う装置や半導体装置、搬送機等に使用されるエンジニアリングプラスチック部品に特化した企業である。設立50年以上の実績を持ち、最新の⾼機能・⾼精密マシンを駆使して、経験と確かな技術⼒でお客様の求める品質・コスト・納期に対応することで高い評価を得ている。本特集では、同社がいかにして独自のブランドを築き、磨き上げているのか、代表取締役の佐藤武志氏に話をうかがっていく。第一回は、事業の概要や代表取締役就任時の考えについて取り上げる。
徹底したQCDへのこだわり
御社の会社概要・事業内容について教えてください。
佐藤氏:当社は先代である父が1969年に創業、1971年に設立し、50年以上にもわたりエンジニアリングプラスチックに特化した製造販売を事業として成長してきました。エンジニアリングプラスチックは耐熱性、強度、曲げ弾性が一定程度以上に強化されたプラスチックで、あらゆる産業の機械部品に用いられます。我々はエンジニアリングプラスチックで、生活必需品の製造や包装などを行う装置や搬送機の設備に使用される樹脂製の機械要素部品を製造しています。これらの部品が破損してしまうと、設備を扱うお客様のみならず、人々の生活にも支障が出てしまいます。お客様としては、昔からお付き合いのある食品製造機器メーカーに加え、近年は大量のエンジニアリングプラスチックを扱う半導体製造装置メーカーがメインとなってきています。
御社の強みはどういうところにありますか?
佐藤氏:基本的にはQCD(Q:品質、C:価格、D:納期)に合わせたエンジニアリングプラスチック部品を作ることが強みです。製造装置メーカーのお客様が多いので、お客様が必要なものを必要な時に必要な条件で作らないと意味がないのです。例えば、機械を使っている現場で、すぐに部品が欲しい時に「1か月かかります」ではダメなのです。可能な限りお客様の納期と品質に合わせ、それに見合った価格設定をすることが大切です。急な納品を依頼される場合、「目的地までバスを使うと約200円、タクシーを使うと約700円、今回の話はヘリコプターをチャーターするようなものですよ」とよく例えます(笑)。
社訓で会社と社員を一つの方向に
会社名のケィディケィ株式会社の由来を教えてください。
佐藤氏:「ケィディケィ」という社名は創業した時の社名である「協和電材工業」の頭文字から来ています。でも、それではもったいないので「K:顧客要望や環境配慮に対して! D(Day):日々努力し、社会貢献して! K:企業繫栄させ輝く未来へ!」という社訓を私が作りました。
とても素敵な社訓ですね。この社訓があることでよかったことはありますか?また、社員の皆様に浸透させる工夫はされていますか?
佐藤氏:この社訓があることによって私自身も会社の目的・方向性がはっきりと解りましたし、従業員には社訓を胸に掲げて働いてほしいという想いも込めています。「社訓(ビジョン)があって行動する」という順番が大切で、こういった目的があるのとないのとでは従業員の動機づけに大きな違い生じると思います。大きな目的もなく、「給料を上げるには、頑張って売上を伸ばすしかない」と言うだけでは、モチベーションは長続きしないではないですか。
社訓を作った当初は、浸透させるため朝礼の際に交代で読み上げてもらっていました。ただ読むというよりは、皆で和気あいあいと楽しく取り組みました。
また、社内3か所に社訓を掲示し、いつでも従業員の目に入るようにしています。その甲斐もあって、全従業員に浸透していると思います。
代表取締役就任後の厳しい船出と大きな決断
佐藤氏は2007年に代表取締役に就任されていますが、就任に至るまでの経緯についてお聞かせください。
佐藤氏:私は21歳で当社に入社しました。小さい時から、工場の上が住居という大田区特有の住工調和の家庭環境で育ったので、将来工場で働いている姿を思い浮かべることもありました。親は家業を継いでほしくなかったようです。工場経営は安定した商売ではなく忙しいので、息子にそのような思いをさせたくなかったのだと思います。
私自身もやりたいと思っていたわけではありませんでした。就職して社会人になったときに何か違和感のようなものを抱き、そのまま会社を辞めて、当時没頭していたスキーのアルバイトを住み込みで行っていました。その時に初めて将来について考えました。でも、考えがまとまらないままスキーシーズンが終わり家に戻った当時、当社で働いていた叔父が「暇なら手伝え」と声をかけてくれたことがきっかけで入社することになりました。最初は叔父の下で現場の仕事やお客様への配達を担っていました。その2~3年後、叔父が会社を辞めることになり、叔父が担当していたお客様を私が全て引き受け、深夜まで自分で色々と学びながら我流で取り組みました。
お客様との関係もでき、自分のやり方で成果も上がってくると、自身のビジョンややり方で会社を変えたいという想いが強く芽生え先代との衝突が絶えませんでした。そんな中、2007年8月、39歳の時に代表取締役に就任しました。
代表取締役就任後、苦労された時期はありますでしょうか?
佐藤氏:実は私の代表取締役就任は赤字になることが予想された時点で実行されました。そして、2008年元旦に、先代より「もう、お前が社長だよ」と声をかけられました。その時点では、自信満々にビジョンを掲げていましたが、その後2年連続で売上が落ちました。今考えてもこの時期が一番苦労しました。こんな経験をしたからか、今もずっと苦労している感覚です。代表として事業を営んでいる以上、安心できる時はありません。2011年に東日本大震災が起き、最近では新型コロナウィルス感染症の流行や不安定な世界情勢の問題もあります。プラスチック樹脂は、昔から為替や原油価格等、世界情勢次第で値段が変動するので安心できません。そういった様々な影響があるので、いつ何時、何があるか分からないと常に考えてしまうのです。
代表取締役就任後に新たに取り組まれたことを教えてください。
佐藤氏:入社後5年くらいから、生き残っていくためには強みを磨きケィディケィをブランド化していく必要性を強く感じていました。しかし、何かと先代とは意見が割れており、なかなか思うようにいきませんでしたが、代表取締役就任のタイミングで総額約1億円の投資を実施しました。その時期は先にも述べた通り、リーマンショックの影響で2年連続3割ずつ売上を落とし、赤字に陥っているタイミングでしたが、先代から築き上げてきた信用があったので、信念を貫き通して投資できました。
業種 エンジニアリングプラスチック(高機能樹脂)部品の製造販売
設立年月 1971年6月
資本金 1,000万円
従業員数 7人
代表者 佐藤 武志
本社所在地 東京都大田区大森西4-4-23
電話番号 03-3763-9201
公式HP https://www.kdk1971.co.jp/