創業100周年を目指して 町工場の技術を次世代へ~株式会社ムソー工業 尾針社長インタビュー【第2回】

第2回「てっちゃんは職人になるわけじゃないからね」 職人に気づかされた自分の役割

ムソー工業は2017年8月に事業承継を行い尾針徹治氏が代表となった。2代目社長の息子である尾針氏だが、意外にも入社時は事業承継を想定していなかったそうだ。従業員の言葉をきっかけに周囲からの期待に気づき事業承継を決意していく。

尾針社長が「残したい」という技術を持つ職人たちと地元工業高校に通うインターンシップ生(後列中央)。第一工場にて

 

「この会社、いつまで続くんだろう…」 

2010年に入社、2017年に事業承継され代表取締役に着任されました。会社を継ぐことは、以前から考えていたのでしょうか。

事業承継について正直にお話することで、他の会社のお役に立つことがあるかもしれません。実は、先代社長である父と折り合いが悪かった時期もあり、会社を継ぐことは考えていませんでした。ピアノの調律師を目指していたのですが夢はかなわず、そのタイミングで母に請われて入社しました。ですので、入社当時は意欲をもって入社したとは言えないかもしれませんね。ものづくりの面白さや、当社の役割や意義もわかっていませんでしたから。

なるほど。そういった思いはどのように変化していったのでしょうか。

告白すると入社当時、「この会社、いつまで続くんだろう」と思っていました。当社は材料試験のお手伝いをしていますが、私の入社時にすでに60年もその仕事を続けているわけです。もう試験する材料もなくなって当社への依頼もどんどん減るだろう、依頼があったとしても仕事はどんどん機械に置き換わっていくだろうと。斜陽産業だととらえていたわけです。

そんな認識で入社し、製造の現場に配属されました。職人さんに教わりながら、技術や材料試験の知見を深めるにつれ、この仕事に無限の可能性があることに気づかされました。素材もどんどん新しいものが生まれてきますし、いろんな環境下で利用されて変性した唯一無二の素材もある。機械に単純に置き換えらえるなんてとんでもない。人間の創意工夫で挑んでいける大きな役割を持った仕事であると気づくことができました。ものづくりにのめりこんでいきましたね。

そんなときに職人さんから「てっちゃんは職人になるわけじゃないからね」と言われます。言われてやっと、周りの自分への期待に気づくわけですね。その頃には、この仕事の面白さや意義もわかっていますから、なんとかこの会社を継続したい、技術を次の世代に残したいと思うようになっていました。経営のこと、つまりは事業承継を意識するようになりましたね。

 

「うちもそうだよ」 励ましてくれた組合の仲間たち

職人さんの言葉をきっかけに、事業承継を意識されるようになった。その後の事業承継はスムーズにいったのでしょうか。

スムーズだったとは言い難いですね。いろんな面で先代社長と対立してしまいました。

大田区の町工場が集まって取り組んでいる下町ボブスレーの活動は立上げ期から参加していますが、先代社長の理解は得られませんでした。私は当社が継続していくためには、いろんな町工場の仲間と教えあい協力しあう関係性作りが必要だと考えていました。また、ものづくりの面白さを若い人たちに伝えるきっかけにしたいとも思っていました。結局、許可は得られないままボブスレーの図面を持ち帰って、就業時間外に活動を始めました。

下町ボブスレーの活動をきっかけに、いろんな人との交流が始まり、経営者や後継者が集まる勉強会にも参加できるようになりました。そこでは、経営の知識はもちろん、事業承継を控えた同じ悩みを持つ仲間を得られたことが大きいですね。私の悩みや愚痴に対し「うちもそうだよ」と言ってもらい吹っ切れたこともありました。

もし、事業承継を控えて一人悩んでいる後継者の方がいたら、忙しいとは思いますが社外の活動にも目を向けることをお勧めしたいですね。同じ立場の仲間に出会えることは心強いことです。また、中小企業が使える国の制度などいろんな情報も入ってきます。それに社内に長くいると、どうしても現社長とぶつかってしまいますし(笑)。

経営者の仲間とときには一緒に汗を流すことも。仲間にいつも助けられているという

 

読めるのだから描けるはず 新たに図面作成を手掛け仕事の幅を広げる

先代社長とぶつかりながらも、同じ立場の仲間を得て事業承継にむけて経営者としての意識を高めていかれたんですね。他に、事業承継前に取り組まれたことはありますか。

図面製作をするようになったことですね。

製造現場で当社の技術を理解した後は、先代社長について営業を行っていました。当時は、お客様から図面をお預かりしてその通りに納品するという仕事のスタイルでした。

ある時、お客様から「こんなの作れるかな」と相談があったときに、先代社長は「図面はありますか。図面がないと作れません」と対応していました。私はそれに違和感を持ちました。「図面が描ければ仕事になるのに。むしろ図面を作るのは当社の仕事なのでは」と。

2回目に同様のことがあったとき、先代が断る前に「私が図面を描きます、描かせてください」と図面製作に名乗りを上げました。図面なんて描いたことなかったのに。でも読めるのだから描けるはずと、最初は手書きで図面を作りました。その後は先輩に教わったり、独学で勉強したり。今ではCADを使っての図面製作もできるようになりました。

その結果、仕事の幅が広がりました。図面どころかラフ図もないようなアイデア段階のご相談にも対応できるようになりましたからね。

当時は人手が慢性的に足りないという状況でしたので、図面作成はしないという先代社長のやり方も間違っていなかったのかもしれません。しかし、町工場が今後も生き残っていくためには新しい取組も必要ではないかと考えています。

手書きの図面から始まった設計業務。いまでは提案力を支える主要な技術のひとつだ

CCADやマシニングセンターなども導入し、効率化も進めるが、職人の手の感覚がムソー工業の技術力の根幹にある


【企業情報】

会社名:ムソー工業株式会社

業種 試験片加工、試験治具の設計・製作
設立年月 1950年5月創業
資本金 10,000千円
従業員数 12人
代表者 尾針 徹治
本社所在地 東京都大田区京浜島2-13-9
電話番号 03-3790-0666
公式HP https://muso-technologies.co.jp/our-company


 

この記事の著者

赤田彩乃

赤田彩乃中小企業診断士、健康経営アドバイザー、「ずるいデザイン」講師

大学卒業後,人材紹介の営業担当を経験。その後,まちづくりや建築への関心から,まちづくりコンサルへ転職。自治体を主要顧客としまちづくり,景観・住宅施策,防災に関する計画策定業務に従事する。夫の転勤による退職後は独立し,中小企業支援や新規事業立ち上げ支援等を行う。

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