新たなる成長を目指して(株式会社富士テクノマシン 代表取締役 飯室肇様 インタビュー①)

他社が嫌がる加工にも果敢に挑戦

株式会社富士テクノマシンは、大型薄物加工をはじめとした金属加工を行うものづくり企業である。これまで同社は、思い切った投資やノウハウの蓄積でさまざまな事業環境の変化に対応してきた。また、近年ではコロナ禍を契機に自社開発製品の販売を行うなど、新たな取り組みを展開している。
本特集では時代の流れに適応してきた同社の歴史と今後の展望などについて、代表取締役の飯室肇氏(以下、飯室社長)に話をうかがっていく。第一回は、同社の事業内容と営業体制構築の取り組みについて取り上げる。

株式会社富士テクノマシン代表取締役 飯室肇氏

 

時代により変化する需要

御社の製品と主な取引業界を教えてください。

飯室社長:当社の主要な事業は、大型薄物をはじめとした高精度の金属加工です。

私が入社した1992年頃に、創業者である父が独断で大型マシニングセンタを導入しました。当時は当社のような町工場が大型機械を入れるのは珍しい時代でした。価格も高く、後々負債に苦しんだ面もあったのですが、他社と差別化したものを作らなければならないという考えがあり、思い切った投資に踏み切ったわけです。

当社の主な取引業界は時代の流れに応じて変化しています。例えば、1990年代前半には、バルブや梱包用機械、輪転機向けの金属加工を行っていました。バブルがはじけた厳しい時期は、携帯電話の中継器向けの製品でしのいでいました。また、10数年前まではフラットパネルを作るための液晶製造装置を主に扱っていましたが、近年日本では液晶はほとんど製造されなくなっており、現在では主に半導体製造装置用の金属加工を行っています。具体的には、スパッタリング装置の部品を作っています。スパッタリング装置とは真空内で成膜を蒸着させる装置で、蒸着させるターゲットを張り付けるパッキングプレートという部品の金属加工を行っています。

バッキングプレートの大きさは1mを超えるものはざらで、中には2mを超えるものもあります。半導体業界向けが中心ですが、それに限らずさまざまな業界のもの、例えば駅のホームドアの部品や潜水艇の部品など変わったものも製作しています。

 

御社の強みを教えてください。

飯室社長:当社が選ばれる理由は、他社が嫌がるような材料の加工でもやっていく姿勢、そしてそれに対応してきた対応力です。他社が嫌がる材料は、例えば、①鋳物や製函など加工済の材料、②不良を出すと影響が大きい高額な材料、③硬いなど加工が難しい材料などがあります。

加工済の材料はそのままの金属素材とは異なり、前工程により材料の反応の仕方に変化が生じますので、そうした違いを計算に入れた調整が必要になります。プログラムの調整は不要ですが、削り始める位置の調整が重要で、どこを削るという印をちゃんとつけて削っていく必要があります。そうしたやり方はむしろ昔のやり方なので、できない会社が多くなってきています。

高額な材料としては、当社が加工予定の材料にプラチナ製の材料があります。ブロックにプラチナがコーティングされた面を削るのですが、プラチナは硬度が高く加工が難しい上に、高額で削ったプラチナも99.99%の回収が求められます。故意ではなく不良にしてしまった場合に備えた不良保険などというものもあるぐらいで、慎重に加工をしなければならない材料です。

加工が難しい材料として身近なところでは銅があります。銅は柔らかく加工しやすいイメージを持たれがちですが、すぐに刃が駄目になってしまう厄介な素材として知られていて、昔の職人さんなどは銅と聞くだけで、「やりたくない」と言う素材です。当社は、過去に電力関係の仕事をしていたので銅は避けられない材料で、いろいろ研究した結果、超硬の刃が良いということで活用していました。

また、インコネル合金という合金は硬くて粘性も高く、普通の鉄ならば400発ぐらい持つ刃が、20発ぐらいで駄目になってしまいます。

そういった難しい作業をするときは、まず加工経験のある会社から情報を集め、そして、自社でも長く経験を積んでいくと、材料に応じてどのメーカーのどの刃がいい、といったようなノウハウが蓄積されていきます。

話が逸れますが、現在では一般的に流通する超硬対応の刃は昔は高級品だったのですが、当社は以前その超硬対応の刃を使用した加工を得意としていました。顧客の依頼に応えるためにさまざまな工具メーカーに特注の依頼をしてきたのですが、その中でも、日進工具株式会社はそうした要望に応えた刃を非常に早く作ってくれました。そして、加工したデータを教えてくださいと勉強熱心だったので、どうしたら1番最速で削れるとか、どのくらいの距離まで削れる、というようなデータを伝えていました。そして、気がついたら日進工具株式会社は超硬エンドミルを武器にして成長し、東証プライム市場に上場する大企業となっていました(笑)。

 

夢にまででてきた製品

特に苦労した製品はありますか?

飯室社長:思い出の製品は、当社でよく展示会などに出すサンプルにもなっている、人工衛星の部品です。突起部分は通常溶接で取り付けるのですが、宇宙空間では溶接では耐えられないので、すべて金属の引きだしで作っています。材料が指定されていて、厚み・幅が決まっています。これは加工方法の検討に苦労し、夢にまでこの部品が出てきました。加工に失敗して、やっちゃった、と子供みたいにジタバタしているところで目が覚める、という夢です。

夢にまで出てきたという人工衛星の部品

 

現実にも何度か失敗も繰り返しました。実は現在サンプルとして展示している人工衛星部品はその失敗品の1つだったりします(笑)。そしてようやく、こうやると綺麗に仕上がると発見しました。やっぱりものづくりはすごい、楽しいな、と思える瞬間で、実際に完成品をお客様に持って行った時にとても喜んでもらえる瞬間、そうした時間がとても好きです。

思い出の部品は、現在も展示会サンプルとして活躍している

 

営業体制構築に取り組む

顧客の変化に対応するために取り組まれていることはありますか?

飯室社長:時代の変化によって移り変わる顧客の変化に対応してくため、当社では営業体制の充実を進めています。具体的には、1年前に初めて専任の営業担当者を雇用しました。これまでは、私が大田区の商談会や展示会などに出展して仕事を受注していました。当社はメーカーから直接の依頼ではなく二次下請けのため、営業担当がいなくてもある程度変化には対応できていましたが、どうしても既存顧客のつながりに依存しがちです。

もともと、リーマンショックなど大きな景気変動があったときに、営業力がある会社は強いと感じており、いつかは専任の営業担当者を置かなければいけないなという思いがありました。その中で、縁あって、当社顧客企業で営業をしていた人を採用でき、新規開拓営業に取り組んでもらっています。

ホームページを見て営業先を選定しアポをとって出向かう、という営業を月に20社ぐらいのペースで取り組んでもらっています。私と同じ55歳ですが、こんなに断られても根気強く飛び込んでいくのかと、私自身も勉強になります。最近では、自社に飛び込みの営業電話をかけてくる人の気持ちがわかるようになって、丁寧に断るようになりました(笑)。まだ1年ぐらいなので種まき状態ではありますが、大口の取引もできてきており、今後が楽しみです。


会社名 株式会社富士テクノマシン

業種   精密機械部品加工及び組立て

設立年月          1977年5月

資本金              10,000,000円

従業員数          8人

代表者              飯室 肇

本社所在地      東京都大田区南蒲田2-19-6

電話番号          03-5703-3566

公式HP           https://www.fuji-tm.co.jp/index.html

この記事の著者

齊藤慶太

齊藤慶太中小企業診断士

2020年5月中小企業診断士登録 東京大学大学院卒業後、ITコンサルタント、メーカー海外工場駐在・経営企画を経て現在はIT企業で新規事業開発に携わる

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