- 2024-9-3
- 取材・インタビュー
精密機械部品加工との出会い
開明製作所は、電池などの周辺設備に使用されるねじ部品の製造業として創業されました。以前は横浜市保土ヶ谷区星川を拠点としていましたが、相鉄線の敷設に伴い、現在は横浜市旭区の保土ヶ谷バイパス沿いに本社を構えています。
笑顔が素敵な社長の梅田八寿子さんは、3人のお子さんを抱えながら10年間専業主婦を務め、パートから社長になったという異色の経歴をお持ちです。
第一回目の今回は、開明製作所の事業内容と、梅田さんが歩まれたキャリアについて伺いました。
精密機械を支える匠の技術
事業内容を教えてください。
梅田氏:当社は1956年に創業し、私の代で3代目になります。航空宇宙部品や半導体製造装置といった、精密機械用部品の受託製造により技術力を高めてきました。NC精密旋盤を用いた、多品種小ロットでの部品生産が中心となります。超精密加工により、医療・バイオ・分析機器など新分野での需要が高まってきている、高精度のオリフィス(流体の流量を制御する穴)の加工が得意です。また、精密加工の経験を生かした、バリを出さない加工プログラムにより、加工時間を削減する提案も行っています。
強みとする技術を教えてください。
梅田氏:マイクロメートル単位で加工ができる、超精密加工技術が強みです。加工例としては#30,000による表面仕上げ加工や、5µm±1µmの面取り加工などがあります。お客様から難課題の依頼があるたびに、社員一丸となって問題解決を図り、不可能を可能にしてきました。「世の中にないものは、自分で作る」という精神で、技術開発にも積極的に取り組み、加工精度実現のために、マイクロドリリングマシン(レビン社製)などの最新の設備を導入したこともあります。最近では、DMG森精機株式会社さんが主催されているドリームコンテストにも出品し、社員の技術向上に励んでおります。
青菜に塩だった専業主婦から、製造業界への転身
梅田さんはどのような経緯で入社されたのでしょうか。
梅田氏:大学を卒業してから、親との約束で実家に戻りました。実家はコンクリート関係の事業を行っていたこともあり、その伝手で地元企業に経理として就職しましたが、すぐに結婚することになり、1年足らずで仕事を辞めてしまいました。当時は女性が主婦として家庭を支えるのが当たり前の世の中でした。その後、子供3人を育てながら専業主婦としてあわただしい毎日を送っていましたが、「仕事をしたい」という想いをずっと抱いていました。専業主婦としての生活は10年続きましたが、子供の手が離れてきたこともあり、満を持して就職活動を始めました。
いざ就職活動を始めると、キャリアがない自分に自信がなく、なかなか採用されませんでしたが、開明製作所に面接に来た時に、さまざまな偶然が重なり、パートとして採用していただけることになりました。念願だった仕事ができることがうれしくて、うれしくて。一生懸命仕事をしようと心に誓っていました。
入社当時はどのような業務を担当されたのでしょうか。
梅田氏:1996年4月にパートとして採用され、主に事務仕事をしていました。製造業は未経験だったので、用語もよくわからない中で必死に慣れようとしていました。入社して3か月くらいたつと、会社の仕組みがだんだんと理解できて仕事を俯瞰して見られるようになってくる一方で、疑問も生まれてきたのです。
特に疑問に思っていたのが、受注と生産がうまく結びつけられておらず、非効率な運営になっていることでした。当時、在庫把握には“桐”という日本製のデータベースを使っていましたし、受注や生産の蓄積されたデータもあるにも関わらず、全体を結びつけて使えていないもどかしさがあったのです。
そこで、当時の社長に直言し、まずはカレンダーの裏紙を使って、受注と生産の関係性の「見える化」を提案しました。すると、受注を完遂するための作業内容を明確にでき、正確かつ早く管理することができるようになりました。結果的に営業と生産を結び付けることができるようになりました。
さらなるシステム化を図るために、コンピュータの導入を推進しました。受注内容を登録するだけで、部品との紐づけを行い生産管理ができるようにしたかったのです。入社してから5か月が経った1996年9月ごろからプロジェクトが動き出し、私はOSとプログラムの選定から始めました。
入社してすぐの新人でも裁量を与えられて仕事ができたのですね。
梅田氏:もちろん日常の業務をこなすことが前提ですが、社風として自由な雰囲気がありました。会社のサポートもあり、自分のやりたいことが明確だったため動きが速かったです。同僚に負担をかけてしまったこともありましたが、日常の業務をこなしながら、生産管理システムの開発も行っていました。その結果、1997年2月にシステムのテストランを迎えることができました。
最終的にはどのようなシステムになったのでしょうか。
梅田氏:帳票の出しやすさから、Windows のAccessというアプリケーションソフト を採用し、部品の特記事項や、外注先のロット数・金額も紐づけて、部品のプロファイルを作りこみました。さらに、発注システムも結び付けて、進捗管理もできるようにしました。それまで会社で使用していたデータベースと紐づけていくことで、生産管理システムが拡張していきました。ありがたいことに、社外からもシステムの評判がよく、論文も書き、雑誌などの取材も受けました。社長からは、この生産管理システムの外販を検討するように言われたほどです。
これまでになかった全く新しいシステムだと思いますが、導入の際に社員からの反発はなかったでしょうか。
梅田氏:現場に対しては、今まで行っていたスタイルを崩さず、悩みを解決する手段であることを強調しました。工程間の連絡など、以前は手書きで書いていたものをフォーマット化し、FAXや宅急便で発送されてきた注文書をデータ化することで、進捗の見通しがつけられるようにしたので、とてもありがたがってもらえました。いいものをみんなで作り上げていこうという雰囲気がありました。その後、EDI(Electronic Data Interchange:電子データ交換)という、取引で発生する帳票を、インターネット等を用いて電子データとして自動的にやり取りする仕組みの導入が始まった際にも、生産管理システムとの融合がしやすかったです。
専業主婦時代からの念願だった仕事に打ち込む梅田さん。入社早々、先代の社長にも目をかけられ、パート社員にもかかわらず自由な発想で次々と新しいことに挑戦していきます。次回は、梅田さんが社長になる経緯を掘り下げていきたいと思います。
(撮影:齋藤 宏晃)
業種 精密機械部品製造業、産業機器販売
設立年月 昭和31年12月
資本金 61,000,000円
従業員数 18人
代表者 代表取締役 梅田 八寿子
本社所在地 神奈川県横浜市旭区市沢町575-8
電話番号 045-355-3434