未来に向かって走り続ける 人がつなぐ企業永続のリレー(有限会社アート銘板工業①)

父から受け取ったバトン

今回紹介する有限会社アート銘板工業は、京王線つつじヶ丘駅から北西に向かった中央自動車道に程近い住宅街に位置します。同社の強みは、難易度が高い0.1mmの薄型アルマイト処理板のエッチング加工を高品質で実現する技術力です。お話をお伺いしたのは、専務の相田智克氏(以下、相田氏)です。相田深吾氏(相田氏の父)が同社を創業してから60年を超え、永続的な発展のため家族内承継を進めている最中です。

第一回目の今回は、相田氏の入社までのお話、創業からの沿革、事業の内容などをお伺いしました。

左から、代表取締役の相田光子氏、相田氏、妹の相田真澄氏。

 

アート銘板工業のこれまで

貴社のこれまでの沿革を教えてください。

相田氏:1958 年に父の深吾が独身時代に創業し、1971年6月に法人化しました。1976年2月には、最終顧客である防衛庁(現・防衛省)より、航空機等における銘板類の陽極酸化被膜処理について、認定工場として認められました。それ以降は3年ごとに関連会社による監査にて各種検査規定に合格しています。事業は順調に推移していましたが、その後、父の体調不良のため、約25年前に母の光子が代表取締役に就任しました。私は1998年に入社し、今は専務として、妹の真澄、妻の美千代と共に、家族内承継を進めているところです。

 

相田氏は、どんな幼少期を過ごしていらっしゃったのですか?

相田氏:小さい頃から自分でいろんなものを作っていましたね。例えば、ロードマンというロードタイプの自転車が流行したのですが、完成品を買うと高いので、ロードタイプの部品を安く入手して組み立てていました。また、パソコンも完成品を購入するのではなく、パーツを秋葉原で買って組み立てていました。エレキギターが趣味で以前はバンドを組んでいたのですが、ギターも完成品を買うのではなく、ボディやピックアップなどがバラ売りされているので、ジャンク品を安く入手して組み立てて、スプレーラッカーで色付けして自分好みのギターを作っていましたね。

 

そんな相田氏が、入社するまでのお話をお聞かせいただけますか?

相田氏:私自身、ものづくりの現場や機械に携わるのが向いていると思ったので、大学を卒業してから、機械設計の事務所に就職しました。その後、航空機用内装品メーカーに5年、電機メーカーに5年出向して、機械や航空機の内装品を設計していました。一方で、小さい頃から親の会社の手伝いもしていて、当社の業務内容もわかっていましたし、いずれは私が親の会社を引き継ぐのだろうと漠然と思っていました。その頃、結婚のタイミングで、「会社を受け継ぐ意思があるか」と父に聞かれて、「ある」と答えたのを覚えています。ちょうど電機メーカー出向終了のタイミングだったこともあり、事務所を退職して当社に入社しました。入社当初は現場の仕事を知らないと何もできないと思ったので、一通りの製造現場に1年ほど従事し、その後に営業を担当し、仕事を覚えていきました。

 

会社を受け継ぐと決めてから、他に取り組んだことはありますか?

相田氏:消防団や青年会や自治会など、地元の各種活動に参画しました。父からは、「先祖代々生まれ育った土地なので、経営にあたっても、地元に根差したところでお付き合いすることが大事だ」と教わりました。父は昔の人間ですが、既にCSRの考え方を持っていたように思います。

 

地域との共生は非常に重要ですね。貴社の事業内容を教えてください。

相田氏:当社は、アルマイト処理、プレス加工、シルクスクリーン印刷を実施しています。製品の売上構成比は、アルマイト銘板が約6割、アルミ以外の金属銘板が約2割、残りがシルクスクリーン印刷です。自社製品はなく、すべて受注生産になります。

当社のシルクスクリーン印刷技術を活用した、調布市消防団の自作Tシャツ。

 

貴社の主力製品であるアルマイト銘板に関して、航空機等の銘板への加工技術で、最終顧客である防衛省から認定工場として認められていますが、その存在意義をどのようにお考えでしょうか?

相田氏:当社は薄型アルマイト処理板のエッチング加工を強みにしています。薄型であればあるほど板の軽量化が図れますが、薄いほど穴が開きやすくなる懸念があり、加工品質が重要です。航空機1機につき何千枚もの銘板がつきますので、視認性を損ねず、軽量化に寄与できる意義は大きいと自負しています。一方で、同じ防衛省でも、戦車や艦船などを使う陸上自衛隊や海上自衛隊では軽量化の優先順位は高くなく、航空機を所有する航空自衛隊向けに需要があると推測しています。

 

貴社の現在の組織体制を教えてください。

相田氏:代表取締役の母の配下に製造・営業・経理があり、営業は私が兼務し私の他2名の計3名、製造は、工場長の配下にアルマイト処理、プレス加工、シルクスクリーン印刷の3チームに分かれていて計7名、経理は3名です。

 

相田氏が入社した頃から今までの売上の変化について教えていただけますか?

相田氏:前は大口のご注文をいただくことがあったのですが、2000年頃に、従来のお客様が中国などの外国に依頼する流れになった影響で、受注額が10分の1に減少したお客様もいて苦しい状況でした。同業他社さんの中には、貯金を崩してやりくりした会社や耐えきれなくて撤退された会社さんもありました。その撤退された会社さんのお客様から当社にご注文をいただくこともあり、どうにか食い止めてきたといったところです。さらに2010年頃は政権交代の影響で防衛省の仕事が激減したことで、苦しい時期がありました。コロナ禍のときも、2010年頃ほどではないものの、売上が落ち込んでいたのですが、最近は戻ってきたように思います。

 

外部環境の影響を受けたにもかかわらず、貴社が生き抜いている秘訣があると思われます。次回以降もその辺を掘り下げていきたいと思います。  


業種   金属製品製造業

設立年月          昭和46年6月17日

資本金              6,000,000円

従業員数          14人

代表者              代表取締役 相田光子

本社所在地      東京都調布市深大寺南町3-7-1

電話番号          042-487-1251

公式HP           https://www.art-np.com

この記事の著者

木内義貴

木内義貴中小企業診断士

愛知県出身。大学卒業後、自動車部品製造業で車載用組み込み制御機器のソフトウェア技術者として従事。今後のキャリア形成と日本経済活性化に貢献すべく中小企業診断士を目指し、2022年5月に登録。現在は、企業内診断士として各種支援活動や執筆活動を行う。愛知県中小企業診断士協会所属。

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