未来のゴム部品製造業の繋ぎ手に ~作り手の思いを繋ぐ製品承継~(株式会社タグチゴム 常務取締役 田口郁男氏インタビュー①)

始まりはおもちゃのタイヤからだった

株式会社タグチゴムはゴム部品製造一筋、実績と技術継承、そして継続的な成長を目指して活躍する会社です。1948年葛飾区に創業、戦後の焼け野原だった葛飾で、当時不足していたゴム部品製造を初代田口郁太郎氏が始めたのがきっかけでした。玩具用ゴム部品の製造を経て、その後各種ゴム工業品製造にも事業展開。優れた材料配合技術、金型設計技術、製造技術を有し、お客様との対話をもとにお客様の困りごとを解決。ゴム部品で日本の製造業を支えています。第一回は会社の事業内容や歴史、強みなどについてお話を伺いました。

株式会社タグチゴム 常務取締役 田口郁男氏

縁あって葛飾区で創業

1948年に創業され70年以上ある貴社の歴史や沿革、事業内容を教えてください。

田口氏:歴史的には、祖父が戦後すぐに栃木県から焼野原だったこの葛飾に出てきて、何かできないかと思っていたところ、知り合いからゴムをつくる仕事ならあるよと言われ、じゃあそれをやってみようと始めたそうです。ここから徒歩10分の場所にある自宅にプレス機を入れて自宅兼工場とし、最初は見よう見まねで、天然ゴムをたい焼きみたいにひっくり返しながら焼いて、靴のゴム底などを作っていました。終戦後の復興初期に需要が多く社会で必要なものを作ったようでした。その後、手狭になって現在の場所に工場と事務所を移転しました。父が2代目で、近々私が3代目に就任する予定です。

ゴム底の次にはどんな製品を手掛けられたのでしょうか。

ご縁がありまして、おもちゃ業界との取引がスタートしました。そのおもちゃ会社は、今では国内の大手玩具メーカーに発展されています。

それから玩具向けの仕事が増え、主におもちゃのタイヤを中心に仕事を請けるようになっていきました。その頃祖父から父に代替わりして、父は弱冠18歳で社長になったそうです。

さらに葛飾区内でゴムを使うお客さんをどんどん増え、模型やラジコン向けのタイヤを主に作るようになりました。

おもちゃのタイヤ各種

 

おもちゃ業界はいち早く製造の海外進出に踏み切った業界でした。1980年代に、「おもちゃはもう国内で作らない。海外(東南アジア)についてきてほしい」とお客さんから頼まれ散々考えた末、海外の現地(シンガポール)に既存の機械や新たに購入した機械を送り込み、そこでおもちゃのタイヤを作り海外進出もしました。お客さんの工場の敷地内にスペースをもらっていたので、製品のデリバリーもすぐ出来て便利でしたね。

国内では葛飾で商売を続けました。地元葛飾区では中小企業のおもちゃ工場が集まっていて、僕が小学生の頃は父ちゃん母ちゃんで経営している金属ばねや樹脂の会社がこの近所のあちこちにありました。タカラ(現タカラトミー)さんやマブチモーターさんのような大手の本社工場もあり、おもちゃの関連会社の集積地という地の利もあって、仕事がとれたと聞いています。

お客さんとも近い距離にいたので小さい部品会社には適した地域だったということですね。

田口氏:そうですね。葛飾区は歴史的にゴム製品を作る工場が多い地域なんですよ。ちょっと古い統計なんですが全国の自治体でゴムを製造する工場の数が2番目に多く、当時で257工場あってゴム工場をやっている知り合いがいっぱいいました。

ですから僕が小学生の頃はよく、友達のお父さんが工場の1階でがんがん音をさせて金属加工の打ち抜きをやっている横を、僕たちがさーっと抜けてリビングに上がって友達と一緒にファミコンで遊んだものです。このエリアも昨今は工場の数も減りましたが、昔は騒がしいエリアだったのです。

その頃のお仕事のことについてもう少し教えてください。タグチゴムさんの強みや大手のTa社さんに採用された理由は何だったでしょうか。

「とにかくお客さんからの要求はNoといったことがない」と父が言っていましたし、「どんな無理でもちゃんとやり遂げる」という信念で父は仕事をやっていました。ある時、ゴムの試作品の至急の依頼があり、「俺も付き合うからお前も徹夜してくれ」と金型屋さんに頼み込んで徹夜で金型を作らせて納品してもらい、ゴムを焼いて、その試作品を依頼翌日に持っていったら、お客さんにこの上なく喜ばれたことがありました。おもちゃとは言え様々な要求ゴム物性があって、他でできなかったことを父の技術で解決できたことも結構多かったみたいです。

例えば、大手玩具メーカーA社の電車玩具の車輪にアメ色のゴムのプーリーみたいな部品がついているのですが、昔は黒色で作っていたので青色のレールに黒色が移ることがあって、タカラ(現タカラトミー)さんから「色移りを解決できないか」と相談がありました。つまり、絶対にレールに色移りしないゴムを開発してほしいという依頼で、耐摩耗性は何千時間もたせるという付随条件も付いていました。当時父は随分苦労したそうですが、最終的にはレールに色移りしないゴムの配合を開発でき、大変感謝されたと聞いています。

その後、タカラ(現タカラトミー)さんの研究開発部門とは、問題があったら何でも応えるという形態でずっと協力してきたことで名が売れて、タグチゴム指名での注文が劇的に増えたようです。

卓越した開発力と製造技術、対応力が認められて成長できたということですね。

そうですね、あとは金型技術と配合技術、品質管理力です。ゴムはわずかな配合の違いや天気などの不確定要素によって物性変化を起こすことがあるのです。だから面白いもので金属と違って、同じ原材料で同じ機械で同じように練っているのに、次の日に練ると感覚が違うということも発生するのです。ゴムは品質管理が難しいのです。父の代からのお客様からは、そういうゴムの性質も知ったうえで、「おもちゃといえば、タグチゴムさんだよ」という定評を頂いています。

あと 嬉しかったのは、あるおもちゃメーカーが、別のゴム会社からうちを紹介されたと言って来られたことですね。取引先のゴム加工会社が廃業したので同じゴム加工ができる会社を探して別のゴム業者さんに相談したら、「おもちゃだったらタグチゴムさんがやってくれるかもよ」と言われたそうです。同業者や金型屋さんから「タグチゴムは世代交代して若くなっているからやれるんじゃないの」という言葉を頂けるのは、祖父と父が培ってきた実績や評判を私が3代目として引き継ぐには本当にありがたい財産だと思っています。

現場でプレス操作をする職人さん


業種   各種精密ゴム部品、並びに一般工業用ゴム部品の製造、販売

設立年月          1956年9月

資本金              20,000,000円

従業員数          8人

代表者              田口勝也

本社所在地      〒124-0012 東京都葛飾区立石3丁目11番12号

電話番号          03-3694-6211

公式HP           https://www.taguchi-rubber.jp

この記事の著者

窪田恭之

窪田恭之中小企業診断士

大阪府出身。1960年生まれ。1983年早稲田大学商学部卒業後、(株)ブリヂストンへ入社。一貫してタイヤ以外のゴム商材を扱う化工品(かこうひん)部門に所属し、工業用ゴム製品の販売促進・企画に携わる。その後事業企画や部門人事を担当。2023年5月に中小企業診断士登録し、現在は千葉県中小企業診断士協会に所属。専門家派遣や商工会の相談窓口として企業様の支援活動や研究活動を行っている。趣味は、ランニング、スキューバダイビング、スキー、ガーデニング。

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