“できない”から始まるものづくり(株式会社葵精螺製作所 関信也氏 インタビュー①)

裸一貫から世界へ——逆境を越えてきた町工場

東京都大田区にある株式会社葵精螺製作所は自動車のネジなど精密部品を製造する企業です。第一回は創業から現在に至るまでの沿革や企業としての特色、主要事業の内容と強みについてご紹介します。「どこにもできないものを、うちがやる」という姿勢の背景を、社長のご発言や歴史的な経緯から明らかにしています。

精密部品のオールラウンダー

―現在の御社の事業についてお伺いできますでしょうか

関氏: 株式会社葵精螺製作所は、創業から60年以上にわたり、自動車部品や音響及び映像機器、カメラ部品、楽器の部品など、精密部品を数多く手がけてきました。多品種・高精度を強みとして、他社では対応が難しいと言われた部品にも果敢に取り組んできたことが、うちの特徴です。

中でも金型の設計から、冷間圧造、転造加工といった塑性加工を駆使したものづくりには自信があります。ときには「これは無理だ」とされる図面も、発想力と工夫で形にしてきました。

現在は、東京本社工場以外に山梨県笛吹市と中国広東省深圳市にそれぞれ工場を構えています。売上の内訳としては、自動車関連——たとえばブレーキやハンドル、シート部品が全体の約6割を占めています。次いで、トイレや水回り、鍵といった住宅設備関連が約1.5割、OA機器や複合機の部品が0.5割ほど。そのほかにも、信号機などの公共設備向けのネジも製造しています。

お取引先は主要12社以外にも約50社ほどあり、特定の企業に依存しない安定した経営基盤を築いています。日本では主にネジ専門商社からのご依頼が多いですが、中国工場ではメーカーと直接取引をするケースも増えてきました。

また、外注先とのネットワークも強固に構築しており、必要なプロセスが社内で完結しない場合でも、柔軟に対応できる体制が整っています。

説明する代表取締役 関信也氏

 

順風ではなかった、それでも続けてきた

―なぜ創業しようと思ったのですか。

関氏:もともとは、創業するつもりなんてまったくなかったんですよ前職もねじ製造会社でした。その会社では、ネジの転造加工技術者として毎日段取り交換をしていました。当時の1種類当たりの生産本数は少なく、段取りしては数百本程度生産し、また段取りして稼働と少量多品種の生産でした。

ただ、そのように段取り交換が多かったので、少しでも段取り時間が速くなるよう工夫をしていました。

使用していた金型も今のように高精度で耐久性も高い工具ではありませんでしたが、バラつきに対応出来る調整をして不良を発生させる事なく生産したのは今でも誇りに思っております。

ちょうどその頃、同僚が退職を考えていたので、「じゃあ一緒に会社をやってみるか」と軽い気持ちで動き出したんです。ところが、その同僚の自宅の敷地に建てた工場が、ちょうど環状八号線の計画区域に当たってしまい、立ち退きを命じられてしまいました。結果としてその話は頓挫し、私は補助もなく、裸一貫で世の中に飛び出すことになりました。

 

―これまでの事業の歩みについて教えていただけますか。

関氏:創業は1962年、品川区大井の自宅、当時私は23歳でした。最初の仕事は、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)さん向けのピアノのキーに使うネジ、全部で88本。その一つひとつを供給しました。どこの会社も「技術的に無理だ」と断った仕事だったのですが、若い私がやってのけた。それが業界ではちょっとした話題になったんです。

バフ研磨なしでネジを仕上げることで、コストも抑えられましたしね。そういった工夫が評価されて、1968年には法人化を果たし、東京都大田区の矢口に工場を建て、本格的に会社としての歩みを始めました。

1972年には、現在の本社所在地に移転して工場を構えました。そして1976年ごろ、ご縁があって山梨に土地を取得し、1985年には山梨・大坪工場として操業を開始しました。1991年には事業拡張もあって大坪工場の近くに三椚工場を新設し移転、メイン工場として操業を開始しました。

ただ、その後また大きな壁がありましてね。JRのリニア新路線が通るということで、せっかく建てた頑丈な工場が立ち退き対象になってしまいました。補償も満足に得られず、資金面でも精神面でも本当に苦労しましたが、「やるしかない」と覚悟を決め2022年、新たな土地に工場を再建しました。

会社を大きくしようと思っていたわけではないんです。ただ、ひとつひとつの仕事に真摯に向き合い、実績を積み重ねてきた結果として、複数の拠点を持つようになり、今日まで続けてこられました。

飾られた山梨工場の写真

 

本社工場の内部

 

―海外展開についてもお聞かせください。

関氏:当時、国内では商社を通しての取引が圧倒的に多く、ユーザーと直接お取引をするのは難しい業界の慣習が根強くあり、自分たちで直接お客様と商談するのが非常に難しかったんです。これをどうにか打開したいという思いから、海外展開を本格的に考えるようになりました。

タイ、マレーシア、ベトナムと、実際に何度も現地を訪れて、それぞれの可能性を探りました。最終的にたどり着いたのが中国でした。やはり、技術力さえあれば、商社を介さずとも勝負できる。その確信があったからこそ、中国に自社の拠点を構える決断をしました。簡単な道のりではありませんでしたが、自分たちの技術を信じて、ゼロから販路を切り拓いていきました。


業種   精密ネジ製造

設立年月          1962年9月25日

資本金              5,000万円

従業員数          国内39人 (グループ全体180名)

代表者              関信也

本社所在地      東京都大田区下丸子2-30-21

電話番号          03-3750-3831

公式HP           https://aoiseirass.biz/

この記事の著者

長山萌音

長山萌音中小企業診断士

2023年中小企業診断士登録。IT企業にてサーバエンジニアとして業務に従事後、Webマーケティング会社にてWeb広告などのWeb集客を担当。その後、デジタルマーケティングのコンサル会社に転職し、シニアコンサルタントとして、プロジェクトの進行を行う。独立後はマーケティングや創業支援を行っている。

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