- 2023-11-21
- 取材・インタビュー
お客様への貢献をこれからも
有限会社ミツミ製作所は葛飾区立石の町工場で設計・表面処理・組立も行うCNC自動旋盤を使った金属加工業である。部品加工のみならず、個人向けのオリジナル商品であるコマやけん玉にもファンが多く、町工場発の製品として葛飾ブランドの認定も受けている。本記事では全三回で代表取締役社長の山田賢一氏に話を伺っていく。第三回では、臨機応変に事業を継続してきた同社が祖業である時計関係の仕事に関わってきたこと、現在見据えている今後について取り上げる。
100年経って立ち返った祖業の時計
創業からは100年近く経ったと伺いました。
山田氏:屋号は違うのですが、祖業からは100年以上経っていますね。曾祖父が元々精工舎(現セイコーグループ株式会社)を退職して時計店を始めました。歯車を作っていた流れでトミー(現株式会社タカラトミー)と取引するようになり、トミーが葛飾に移ると一緒に移ってきました。
祖業に関わるお仕事をされたと伺いました。詳しく聞かせて頂けますか。
山田氏:私は、「曾祖父がいて今がある」と思っています。お客様の紹介で、セイコータイムクリエーション株式会社(以下、セイコー社)と直接の取引が叶い、機械式置き時計「息吹」の部品として当社の加工品を納入しました。私が継いでから、他の分野に色々取り組んできましたが、原点回帰で時計の仕事に戻ってこられたとことには特別な思いがありましたね。すごくロマンティックな話だと思いますし、当社がSNSで発信することにも、ありがたいことにセイコー社から快諾頂けました。そのお陰で仲間や親戚からも評判でしたし、その記事をきっかけに取引を始めた新規のお客様もいらっしゃいます。
社長になられてから7年ですが、今後の展望を教えてください。
山田氏:もう50歳目前ですが、50歳で引退したいとずっと言ってきました。経営者の諸先輩方を見ていて、60歳、70歳と年を重ねてなかなか引退できない様子を見て、事業承継が簡単でないことはよく分かっているので、早く引退する目標を意識的に掲げるようにしています。コロナ禍で思うように進まなかったこともあり、今は55歳を目標に引退を考えていますが、そう簡単ではないですね。製造業にロマンを感じられる若い人を採用したいですが、どこも人手不足は同じですね。タイミングもあるので、いい波に乗るのが大事ですね。
コロナ禍や原材料高騰の影響など、苦労していることはあるでしょうか。
山田氏:コロナ禍で大変な目に遭ったのは皆さん一緒だと思います。身近な人を亡くし悲しいこともありました。一方で、知っている会社ではこれをきっかけに後進に道を譲った経営者もいます。若い経営者が事業を承継出来ているケースもあるので、マイナス面ばかりではなかったかもしれないですね。原材料高騰の影響はもちろんありますが、ありがたいことにお客様には交渉にご理解頂いて、決して楽ではないですが何とかやっていけています。
経営していくうえで、大事にしている考えはありますか。
山田氏:ロジックを大切にしています。私は理屈っぽいのですよね。父は石橋を叩いて渡らないタイプだったので、私は慎重な方ですが、叩いて渡るタイプでいようと思っています。あまり大風呂敷を広げる方ではありませんし、売上が10倍や100倍になるようなネットベンチャーのような跳ね方をする経営者ではないと思いますが、リスクをしっかり見極めて、ロジックや哲学に合った仕事を堅実にやっています。お陰さまで大きなプラスではないにしろ、業績としては問題なく推移していっていると思います。
お客様とのコミュニケーションを大切にしたい
事業を続ける中で夢などはあるでしょうか。
山田氏:インターネットを使えないご婦人がコマにご興味を持って頂いたことがあり、書留を送ってくださいました。インターネットでの販売とは異なり、対応にひと手間かかるわけですが、熱意を持って問い合わせてくれたお客様はやはり大事にしたい一心で対応しました。そうしたら後からお手紙までくださって、お客様とのコミュニケーションになるのですね。きれいごとかもしれないですが、そういうところからのお客様や地域への貢献は大切にしていきたいですね。ロマンや熱意に応えるには実績がないといけないので、一つ一つの対応をしっかりやっていくことですね。その積み重ねで、今後、事業を承継していくにしても、いい形でつなげられるのではないかと思っています。
業種 金属加工業
設立年月 1990年8月2日
資本金 3,000,000円
従業員数 6人
代表者 山田 賢一
本社所在地 東京都葛飾区立石2-28-14
電話番号 03-3691-7370
公式HP https://mitsumi-seisakusyo.co.jp/